No.196 「健康」は、失って初めて気づく贅沢品なのか?

健康であること。
それは、あまりにも当たり前すぎて、普段はそのありがたさを意識することがほとんどありません。

風邪をひいた時、怪我をした時、ぎっくり腰で動けなくなった時。
そんな時に初めて、私たちは「あの日常がどれほど良かったのか」を痛感します。
「普通に起きて歩けること」「痛みなく食事ができること」——それがどれほどの幸福だったのかを、ようやく思い出すのです。

けれど、喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間です。
症状が治まれば、また元の生活に戻り、あの時の苦しさも、反省も、たいていは消えてしまう。
若い頃ならそれでも良いかもしれません。
しかし、年齢を重ねるにつれ、同じような「一時的な不調」でも、その後に残る影響が大きくなっていきます。

たとえば、風邪で数日寝込んだだけでも、筋肉量は確実に減ります。
高齢者の場合、たった1〜2週間の安静で下肢筋力が1〜2割落ちるという報告もあります。
つまり、「治った」と感じたその時、体の中ではまだ“元通りではない状態”が続いているのです。

では、本当の意味で「治る」とは何でしょうか。
それは、単に症状が消えることではなく、「元の機能を取り戻すこと」ではないでしょうか。
咳が止まっても、体力が戻っていなければ、また風邪を引きやすくなる。
腰痛が一時的に軽くなっても、姿勢や筋力が改善されなければ、再発のリスクは高いままです。

そう考えると、健康の本質は「治すこと」よりも「崩さないこと」にあります。
私たちの身体は、壊れてから修理するより、日頃からメンテナンスしておく方がはるかにコストが低く、リスクも小さい。
車も同じですよね。オイルを交換せずに走り続けて、エンジンが焼き付いてからでは遅いのです。

健康もまた、“使いっぱなしにできない資産”です。
日々の運動、栄養、睡眠といった基本を少しずつ積み重ねることでしか守れません。
特別なことをする必要はありません。
ただ、自分の体を「自分で管理する意識」を持つこと。
これが、これからの時代の“本当の健康づくり”の第一歩です。

いつまでも「健康が当たり前」と思えるように。
その当たり前を続ける努力こそが、何よりの贅沢なのかもしれません。

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